安部朱美 「或る夏の日」(2008年)

転機は誰にでも訪れる。しかし、多くの人は気付かずに見逃してしまう。また、転機を迎えているとわかってはいても、歩んだことのない道に一歩踏み出すにはかなり勇気がいる。自分が10代なら少々の無茶もできる。けれど、30代で家庭を持っていたとしたら、どうだろうか?
安部さんは「子供の頃は人形に興味はなかった。人形で遊んだこともなかった」と振り返る。さらには「工芸展といったものに足を運んだ経験も一切なかった」と。
そんな安部さんが紙粘土人形に出会ったのは30歳を過ぎてから。3人の子供に読み聞かせる本を探しに図書館通いをしていた頃、ふと手にとった「紙粘土人形の本」がきっかけだったと言う。「その瞬間、不思議と衝撃が走ったのですね。作りたいと思いました」。「簡単な人形だったのですが、それを一体作り終えました時に、ああ、これから私は人形を作っていくのだと心が定まったことを鮮明に覚えています」。
その日から粘土人形作りに打ち込んだという。技法はもちろん材料すらわからないままの、まったくの手探り状態。子育てがピークの時で、子供たちが寝静まってから「夜中の2時、3時まで夢中で作っていた」と笑う。もちろんそこには夫や子供たちの理解もあったはずだ。
「幸せですよね、こんなに没頭できるものが見つかったということは。そしてそれに協力してくれる人がいることも本当にありがたいと思っています」

1981年から、安部さんが模索しながら独自の技法で創作粘土人形を始めて十数年。いくつかのコンテストで賞を受けるようになっていた。
そして彼女を全国区のアーティストとして知らしめたのは、2008年「宝鏡寺門跡人形公募展」(京都)にて作品『かあちゃんよんで』が大賞を受賞し、翌年国民読書年ポスターに起用されてからだ。
縁側で、母の読み聞かせに耳を傾ける子供たち。長男らしき子は正座して耳を澄ませている…。台上の本は学校の宿題だったのだろうか? 次男らしき子は本の内容をすべて理解できない年頃かもしれない。けれど物語の続きが気になる様子だ…。長女は母に甘えている。きっと母の朗読する声が好きなのだ。そして乳をもらった赤子は、母の声を子守歌にこくりこくりとしている…。
安部さんは一貫している。人々の「きずな」をテーマに、昭和30年代の家族の姿を石粉粘土人形で表現している。そこには体温があり、においがある。思いやりがあり、通いあう心がある。風鈴が揺れ、虫が鳴き、みんな貧しかったけれども、そこに希望はあった。
かつて日本のどこにいでも普通に目にしていたのに、今ではまったくといっていいほど見られない情景がある。

安部朱美 「かあちゃんよんで」(2007年)

安部さんが伝えたいことは、決してノスタルジーではない。
未来は変えられる、ということだ。私たち一人一人の手で。そんな力強いメッセージが作品から伝わってくる。

安部さんはいう。「私はもともと言葉で自己表現するのがすごく苦手でした。だからこそ人形を作ってきた、続けられてきたということもあると思います」。

「人生の中で、いろいろなことがあると思います。人形を作り始めてから5年位経った頃でしょうか。ふと思ったのですが、私の場合は、何かあった時でも、人形に対峙するとそれが全部昇華してしまうようです」


安部朱美 「ちゃぶ台囲んで」(2009年)


創作人形作家

1950 鳥取県西伯町(現・南部町)で生まれる
1981 模索しながら独自の技法で創作粘土人形を始める
1994  「新協美術全国展」新協彫刻賞
1995~1996 「日本伝統工芸中国支部展」入選
1998 「用瀬全国創作和人形コンクール」流しびな大賞
1999 西伯町総合福祉センターにブロンズ像「絆-明日への詩」設置
1999~2007 「新匠工芸展」入選、米子市美術館で個展
2002 第17回国民文化祭「全国和人形コンクール」鳥取県実行委員会会長賞
2007 「宝鏡寺門跡人形展50周年記念公募展」にて作品『かあちゃんよんで』が大賞、「米子市文化奨励賞」受賞
2010 作品「かあちゃんよんで」が国民読書年ポスターに起用される
    全国巡回展「安部朱実創作人形展 きずな 昭和の家族、伝えるこころ」開始
2015 臨済宗大本山円覚寺に「坐禅」人形8体奉納、北鎌倉古民家ミュージアムで常設展示「昭和の家族~きずな」

 人形作家 安部朱美 Blog ~ 風のささやき

 北鎌倉古民家ミュージアム常設展示「昭和の家族~きずな」

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